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名古屋高等裁判所 昭和61年(う)428号 判決

国籍

朝鮮(釜山府西大新町二丁目一二五二)

住居

名古屋市天白区植田山一丁目一一〇七番地

パチンコ遊技場経営

今井有福こと金有福

西暦一九三九年一〇月三日生

右の者に対する所得税法違反被告事件について、名古屋地方裁判所が昭和六一年一〇月三〇日言い渡した判決に対し、被告人から控訴の申立があったので、当裁判所は、検察官山岡靖典出席のうえ審理をして、次のとおり判決する。

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人渡部正郎が作成した控訴趣意書、控訴趣意補充書、「控訴趣意書・同補充書の一部補正について」と題する書面、控訴趣意補充書(二)及び控訴趣意補充書(三)(当審第一回及び第四回公判調書中の弁護人の釈明参照)に、これに対する答弁は、検察官平田定男が作成した答弁書に、それぞれ記載されているとおりであるから、これらを引用する。

第一控訴趣意中、訴訟手続の法令違反の主張について

所論は、要するに、被告人が確定申告と修正申告との際の税務当局に対する所得額や諸経費の額の申告は自白に過ぎないのに、原判決は、この申告の内容に基づき大蔵事務官が計算した資料のみに依拠して、原判示の各事実を構成する被告人の実際の所得額を認定しているから、原判決には、補強証拠がないまま自白のみに基づいて被告人を有罪にした憲法三八条三項、刑訴法三一九条二項違反の違法がある、というのである。

そこで、原判決が「(証拠の標目)」欄に挙示する各証拠の内容を検討するに、原判決は、原判示の各事実を認定するに当たり、自白に該当する被告人の検察官に対する供述調書と大蔵事務官に対する質問てん末書とのほか、それぞれ関係の大蔵事務官作成の脱税額計算書説明資料や査察官調査書等の各証拠を認定の用に供したことが判文上、明らかであるが、これらの大蔵事務官作成の脱税額計算書説明資料や査察官調査書は、単に被告人の所得額に関する供述内容をそのまま録取したという性質のものではなく、(1)パチンコ店営業による売上金額については、被告人方で押収した売上ノートの記載内容を、被告人の指示により右売上ノートを記載していた従業員や被告人の各供述内容に照らしつつ分析し、これにより確定し得た結果を取りまとめ、(2)パチンコ店営業による期末、期首の商品棚卸高については、被告人が各年末の在庫調査を行わず、在庫表等も作成していなかったため、実際の棚卸高を確定はしていないが、その点に関する被告人の供述内容を、右売上ノート中の換金用景品の在庫高に関する記載内容、押収したタバコ在庫帳の記載内容、査察当時の実際の商品在庫高等に照らしつつ分析、検討し、これにより少なくとも被告人が供述しているだけの在庫高は存在したことを確認し得たという結果を取りまとめ、(3)パチンコ店営業に伴う旅費交通費、広告宣伝費、接待交際費、消耗備品費、給料賃金、貸倒金、除却費、雑費については、このうち、旅費交通費、接待交際費及び雑費の中には、被告人が出費をしたと主張するのみで、必ずしも客観的な裏付けのないものが一部含まれているが、それらを除けば、押収した関係資料の内容、関係人に対する照会回答の内容、大蔵事務官による裏付け調査の内容、関係人や被告人の供述内容等を総合、分析し、客観的に支出の確認された結果を取りまとめ、(4)その他、パチンコ店営業に伴う減価償却費等の諸経費並びに飲食店の営業等による売上等の収益及びそれらに伴う諸経費についても、同様に、押収した関係資料の内容、関係人に対する照会回答の内容、大蔵事務官による裏付け調査の内容、関係人や被告人の各供述内容等を総合、分析し、客観的に収益、経費の確認がされた結果を取りまとめたものであるから、これらを自白と同視することはできないのであって、自白である被告人の検察官に対する供述調書及び大蔵事務官に対する質問てん末書に対する十分な補強証拠となることには疑いの余地がない。確かに、パチンコ店営業に伴う旅費交通費、接待交際費、雑費等の中には、前記のとおり、被告人が出費をしたと主張するのみで、必ずしも客観的な裏付けのないものが含まれており、しかも、それら客観的な裏付けのない部分は、被告人の大蔵事務官に対する質問てん末書等によれば、全額が当該年度の経費になるというよりも、開発費等の繰延資産としての性格がかなり強いように考えられるのであるが、他面、それらが当該年度における経費としての側面を有することも否定できないため、税務当局において、修正申告の際にそれらを経費として認め、大蔵事務官作成の脱税額計算書説明資料中にも経費として計上されているのであるから、原判決が被告人の主張に沿う大蔵事務官作成の脱税額計算書説明資料に基づき、必ずしも客観的な裏付けのない部分についても経費として認定しても、被告人に対し何ら不利益を与えるものではない。したがって、原判決は、大蔵事務官作成の脱税額計算書説明資料や査察官調査書等、いわゆる補強証拠としての性格を有する関係各証拠と被告人の検察官に対する供述調書及び大蔵事務官に対する質問てん末書とを総合して、実際の所得額を始めとする原判示の各事実を認定したものであって、被告人の自白のみに基づいて認定したものでないことが明らかであるから、原判決に憲法三八条三項、刑訴法三一九条二項違反のかどは存しない。論旨は理由がない。

第二控訴趣意中、事実誤認の主張について

一  実際の所得額認定の誤りの主張について

所論は、要するに、原審で取り調べられた各証拠中には、給料賃金については、刑事手続においては許されない推計の方法によるものしかなく、また、減価償却費については、何らこれを明らかにするものがなく、その他の経費についても、極めて簡単な説明内容のみを包含する大蔵事務官作成の脱税額計算書説明資料しかないのに、原判決は、関係の諸経費を検察官主張のとおり認定し、他面、原判決は、パチンコ店舗の敷地の取得費のほか、修正申告の際に被告人が税務当局に対して主張したけれども認めてもらえなかった各種経費についても、これが存在したのが事実であるのに、これについて全く考慮しておらず、以上のことがらにかんがみると、実際の所得額は原判示のとおりではなかったといわざるを得ず、加えて、原判示の実際の所得額認定の基礎を成す検察官の冒頭陳述における修正損益計算書を検討するに、昭和五七年度においては、仕入金額のウェイトが前年度よりも増加しているのに対し、給料賃金、修繕費、消耗品費や消耗備品費のウェイトは前年度よりも大きく減少しており、更に、昭和五七年度の売上金額が前年度よりも二倍に増加しているのに対し、同年度の事業所得額の方は対前年比四倍に増加しているなど、不合理な点が多く存することからしても、原判示の実際の所得額は認定できないことに帰するのであって、原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認がある、というのである。

そこで、原審で取り調べられた関係各証拠に基づき検討するに、原判示の実際の所得額認定の重要な基礎となったと考えられる大蔵事務官作成の脱税額計算書説明資料や査察官調査書は、第一において説示したとおり、減価償却費の点を始めとして、押収した関係資料の内容、関係人に対する照会回答の内容、大蔵事務官による裏付け調査の内容、関係人や被告人の供述内容等を総合、分析し、客観的に収益、経費の確認がされた結果を取りまとめたものであって、後記に指摘するように、その記載内容には、誤記や計算違いに基づく数額の誤りが一部見受けられるが、基本的には極めて信用性が高いものと認められるのである。

確かに、「パチンコ将軍黒川本店」の昭和五六年度分の給料支払明細書は、査察当時、残されていなかったのであるが、大蔵事務官は、押収した昭和五七年度分の給料支払明細書及び抽出した従業員の昇給率を調べ、更に、関係人や被告人の各供述内容等をも勘案したうえ、同店における昭和五六年度分の給料賃金の額を脱税額計算書説明資料や査察官調査書に取りまとめたのであって、これはいわば間接事実による認定といってよく、経験則に照らしても合理的であって、この方法により認定された昭和五六年度分の給料賃金の額は、後記のとおり、仕入金額、売上金額と比較しても格別不合理とは認められず、その他右認定に合理的疑いをさしはさむ余地はないから、これが推計課税であるとの所論の非難は当たらない(推計課税の点に関して付言するに、「パチンコ将軍黒川本店」での昭和五六年一月から三月までの売上金額を直接証明する証拠が不足するため、国税査察官は種々の資料をもとに同期間の売上金額を六三八五万八〇〇〇円と推計しているが、これは準反則行為として犯則金額には算入せず、この部分につき被告人の刑事責任は追及されていない。)。

更に、右脱税額計算書説明資料や査察官調査書がパチンコ店舗の敷地の取得関連費用について正面から触れていないのも事実であるが、原審で取り調べられた関係各証拠によれば、パチンコ店舗の敷地を物色していた際の交通費、接待交際費、地元対策費等の費用については、被告人が自己の主張を十分に盛り込んだ上申書や必要経費表を税務当局に提出し、第一において説示したとおり、パチンコ店営業に伴う旅費交通費、接待交際費や雑費として、修正申告の際に、全面的に認められているのである。所論は、更にそれ以外にも経費がかかったといい、被告人も当審公判廷において所論に沿う供述をするが、被告人自身、それを裏付ける客観的資料はなく、額がいくらで、何のために支出したかも確定できない旨認めているのみならず、前記のとおり、既に修正申告の際に、必ずしも客観的な裏付けがなかったにもかかわらず、税務当局に提出した自己の主張を十分に盛り込んだ上申書や必要経費表に基づき、パチンコ店営業に伴う旅費交通費、接待交際費や雑費として多額が認められていたという経緯に照らすならば、被告人の右供述は措信できず、それ以上、所論のような経費は存在しなかったものと断ぜざるを得ない。

なお、弁護人は、昭和五六年においても「すなつくとくだいじ」及び「スタンドシークレット」は営業しており、その仕入金額が零であることはあり得ないのに、原判決は両店とも仕入金額が零であったとする資料に基づいて課税所得金額を算出しており不合理である旨強調するが、前記脱税額計算書説明資料によれば、税務当局においては右二店を含む「クラブ徳大寺外」の項目で昭和五六年の仕入金額として四四七万五〇〇〇円を認定しており、原判決も右資料に依拠して課税所得金額を認定したことが明らかであるから、右主張は失当である。

しかしながら、原判決は、右脱税額計算書説明資料や査察官調査書中には、誤記や計算違いに基づく数額の誤りが一部存するのに、これを看過し、原判示の実際の所得額及び脱税額を認定したものであって、その点において、原判決には事実誤認がある。右脱税額計算書説明資料や査察官調査書を始めとする原審で取り調べられた関係各証拠によれば、被告人の昭和五六年度における実際の所得額は八三五八万五一九一円、脱税額は四二五四万二二五〇円(計算過程については、別紙1及び別表1を参照)、昭和五七年度における実際の所得額は三億四五二二万八〇四三円、脱税額は二億一三一八万八三〇〇円(計算過程については、別紙2及び別表2を参照)ということになるところ、原判決の認定額との差はいずれも、比率の点においてわずかな範囲にとどまるから、原判決の事実誤認は、判決に影響を及ぼすことが明らかであるとまではいえない。

なお、右に認定した所得額を前提としても、所論のいうように、仕入金額のウェイトが前年度よりも増加しているのに対し、給料賃金、修繕費や消耗備品費のウェイトが大きく減少しているとか、売上金額の増加以上に事業所得の増加率が著しいといったような事情は残るのであるが、右給料賃金の減少は「クラブ徳大寺」、「すなつくとくだいじ」の廃業によるものである(「パチンコ将軍黒川本店」と「パチンコ将軍豊橋店」との給料賃金額は逆に増加している。)うえ、パチンコ店の営業時間は一定なのであるから、人気のあるパチンコ機械の導入等により、客の延べ遊技時間が増えて売上額が伸び、これに伴い景品の払出し額も一定の増加を示したとしても、従業員の労働時間には、依然として基本的な変化がないから、給料賃金が売上額に全面的に連動して増加するということはあり得ないし、修繕費、消耗品費や消耗備品費も売上額にそのまま連動して増加するということも考えにくく(むしろ、それらの経費は、売上金額が増加すれば、相対的にウェイトが減少するものと考えられる。)、更に、売上金額の増加率以上に事業所得額の増加率が著しいことも、売上金額の増加が全面的に連動した諸経費の増加を伴うわけでない以上、不合理なこととはいえないのみならず、そもそも、右脱税額計算書説明資料や査察官調査書等の極めて信用性の高い証拠によって被告人の実際の所得額を認定できる本件において、たかだか二年度における諸経費のウェイトの変化を問題にすること自体、さして意味のあることとは考えられない。

二  犯意の不存在の主張について

所論は、要するに、被告人は、確定申告書の作成をすべて在日朝鮮人愛知県商工会に任せ、そうすれば問題は全くないと考えていたのであるから、脱税の故意は有していなかったものであるし、他面、被告人は、無知のため、事業の拡張のための投資や借入金はすべて必要経費になるものと誤解したのであり、複雑難解な税法の内容に照らすならば、その誤解もやむを得ないというべきであるから、被告人の脱税に対する故意は阻却され、被告人に対し脱税の故意を認めた原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認があるというのである。

そこで、原審で取り調べられた関係各証拠に基づき検討するに、被告人は、従業員に指示して、売上ノートにパチンコ店の売上金額等について記録を取らせ、その売上ノートのみならず、売上日報、データー通信等の手段によっても売上金額の把握に努めるとともに、売上金額の中から一日当たり何十万円をも取り分けさせて、これをいくつもの仮名預金とし、更に、昭和五八年三月ころからは、税務当局の調査を予想して、実際の売上金額よりも少ない内容の虚偽の売上ノートまで作成していたのに、確定申告書の作成を依頼した在日朝鮮人愛知県商工会に対しては、何らまとまった資料を示していなかったのであるが、本件による税務当局の調査を受けるや、直ちに、脱税の証拠となる帳簿等を焼却したり、隠匿したりしたものであり、そのうえで、大蔵事務官に対し、いまだ犯則所得額の詳細が分からない時点で、その金額が約三億円である旨自認し、正しい所得額の申告をしなかった動機についても、同業者との競争に打ち勝ち、事業を拡大するための自己資金を貯えておきたかった旨供述しているのであって、これらの事実関係に照らすならば、被告人は、税法上の必要経費が何であるかをわきまえたうえ、自己の実際の所得額の内容を十分に認識していたものといえるから、被告人に脱税の故意があったことは明らかであるし、税法の内容が複雑難解であることをもって、被告人の脱税の故意が阻却される余地は全くない。右の判断に抵触し、所論に沿う被告人の原審公判廷における供述は措信できない。

三  したがって、結局のところ、原審で取り調べられた関係各証拠によると、原判決には、所論指摘の点を含め、判決に影響を及ぼすことの明らかな事実の誤認はないのであり、当審における事実の取調べの結果によってもこの判断は左右されないから、論旨は理由がない。

第三控訴趣意中、量刑不当の主張について

所論は、要するに、原判決の量刑は、執行猶予付きとはいえ、懲役刑を科した点において不当であるのみならず、六〇〇〇万円という罰金額も、被告人に対し過酷な経済的負担を強いるものであって不当である、というのである。

そこで、記録を調査し、当審における事実の取調べの結果をも参酌して検討するに、本件は、パチンコ店等を営業する被告人が、同業者との競争に打ち勝ち、事業を拡大するための自己資金を貯えておくために、二年度にわたって、所得金額に関する収支計算を行わず、適宜の金額を確定申告書に計上するという方法により、所得の大部分を秘匿し、それぞれ、四〇〇〇万円以上と二億一〇〇〇万円以上の所得税を脱税したという事であるが、その動機は格別同情には値しないし、脱税額自体が極めて多額であり、脱税の手口も、第二の二で認定したような方法を伴い計画的で悪質であり、更に、本件が発覚しそうになるや、同じく第二の二で認定したように、証拠の隠滅を図ったものであり、加えて、被告人が原審公判廷や当審公判廷において、あたかも脱税の犯意がなかったとか、確定申告書を作成した在日朝鮮人愛知県商工会が悪いとか、種々多額の経費が存在したとかいった弁解を展開し、不当に自己の刑事責任の回避ないし軽減を図っていること等に照らせば、被告人の刑事責任は相当に重いといわざるを得ない。したがって、被告人の脱税額は、第二で認定したとおり、原判決が認定した額を多少下回ること、被告人は、既に、脱税分を納付しているほか、重加算税を課され、これを支払っていること、被告人は、本件を契機に税理士等を入れるなどして、今後は間違いのない確定申告をしようとの姿勢を示していること、被告人は、若い時から苦労のすえ、現在の地位を築き上げたこと、被告人の妻は日本人であり、その子らも日本国籍を有し、被告人においても、将来、日本国籍を取得することを念願していること等の諸事情を被告人のために十分に斟酌しても、被告人を懲役二年(四年間執行猶予)及び罰金六〇〇〇万円(換刑処分日額二〇万円)に処した原判決の量刑は相当であって、これが重過ぎて不当であるとはいえない。論旨は理由がない。

よって、刑訴法三九六条により本件控訴を棄却することとして、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 山本卓 裁判官 油田弘佑 裁判官 向井千杉)

別紙1

税額計算表(昭和56年)

〈省略〉

別表1 (昭和56年)

〈省略〉

別紙2

税額計算表(昭和57年)

〈省略〉

別表2 (昭和57年)

〈省略〉

○控訴趣意書

被告人今井有福こと 金有福

右の者に対する所得税法違反事件についての控訴の趣意は左記のとおりである。

昭和六二年一月二三日

右弁護人 渡部正郎

名古屋高等裁判所 刑事部 御中

第一点 原判決には、明かに判決に影響を及ぼす事実の誤認・法令の適用の誤り・判例違反が存するので、その破棄を求める。

一 逋脱所得金額について(甲二、三、四号証)

1 現判決は、起訴状に被告人の逋脱所得金額として記載されている金額(以下逋脱所得額という)と同一の金額を認定しているが、右金額は、昭和五六年分・同五七年分いずれも、名古屋国税局(以下国税局といいます)が作成した脱税額計算書(以下計算書といいます)に記載されている犯則所得金額(以下犯則所得額といいます)と全く同じである。

逋脱所得額は、検察官自身の立証によって確定された金額ではない。

検察官は、起訴状において反則所得額をそのまま逋脱所得額とした理由について何らの主張も立証もしていない。計算書以外にそのように認定した直接の証拠を何一つ具体的に挙げていない。

犯則所得額は、国税局が、確定申告と修正申告において被告人が申告した各所得金額を基に計算したものに過ぎず、国税局が自ら証拠によって認定したものではない。更生処分の場合のように、国税局が職権により各勘定科目の金額を認定し、それを基に計算して職権により確定したものではない。租税逋脱罪において、逋脱所得金額は構成要件の一部であり、証拠に基づき厳格な証明によって証明されなければならなず、その立証責任が検察官にあることは言うまでもない。

被告人が確定申告及び修正申告において申告した所得金額はいずれも「自白」に過ぎない。その所得金額をそのまま使って国税局が計算したものに過ぎない反則所得額をそのまま逋脱所得額として被告人を有罪にすることは、自白のみにより被告人を有罪にすることになり、憲法三八条三項・刑事訴訟法三一九条二項違反となる。

2 税法上所得金額は、収入金額から必要経費を控除したものである。

国税局が犯則所得額の計算の基礎としている経費の各勘定科目の合計金額の中には、証拠によらず被告人の供述のみによって確定したものが多く含まれている。そのことは国税局の「ほ脱税額の内訳」と題する資料(以下資料といいます)によって明らかである。

すなわち、資料は、昭和五六年分・同五七年分いずれについても、期首商品棚卸高及び期末商品棚卸高の各金額について、「相当性の認められる被告人の供述によって認容したものである。」と述べている。これは被告人の自白以外に直接証拠はないという意味であることは言うまでもない。

それだけではなく、ここで注目しなければならないのは、資料は、国税局が、被告人が供述した(申し立てた)必要経費であっても国税局が「相当性」を認めなかったものはこれらの金額に含まれていないことをこの表現によって明らかにしているということである。他の勘定項目の金額について資料が「被告人の供述により確定した」などと述べている場合も同様である。

行政処分としては「相当性の認められる被告人の供述」のみによって金額を認定することはできるよう。しかし刑事裁判において検察官がこの金額をそのまま使って被告人を訴追することはできない。

検察官は、直接証拠によって金額を立証するか、直接証拠がない場合でも間接事実により推認するという方法で金額の存在を立証しなければならない。そしてその場合でも、その間接事実といえども厳格な証明の対象であることは当然であり、また、間接事実による当該金額の存在の立証が合理的疑いを容れない程度のものでなければならないこともいうまでもない(東京地判昭五五・一二・二四、判時一〇〇六・一一七)。

検察官はその立証をすることなしに被告人を訴追した。

3 旅費交通費について資料は、「領収書、照会解答及び被告人の供述から支払事実を確認して確定した」と述べている。ここで注目すべきは「及び被告人の供述から」というのは、領収書、照会解答のあるものについて被告人の供述もあるという意味ではなく、領収書、照会解答から確認したものの外に被告人の供述のみによって、すなわち証拠なしに「確認」したものもあるという意味である。また、前述したように、被告人が供述したものであっても国税局が「確認」しなかったもの、すなわち国税局が事実であるとの心証を得ることができなかったものは含まれていないという趣旨である。

昭和五六年分、同五七年分のいずれについても、旅費交通費の外、広告宣伝費、接待交際費、消耗備品費について資料が「及び被告人の供述から支払事実を確定して認定した」と述べている点についても同じことである。

更に、仕入金額、荷造運賃、修繕費、消耗品費、福利厚生費については、資料は、「及び被告人の供述から支払事実を確認して確定した」とは述べてはいないが、それは国税局が被告人の供述(申し立て)を措信しなかったというだけのことであって、資料に計上されているものの外にも被告人が実際に支払ったものが数多くあったものである。

4 「修正損益計算書」には必要経費である減価償却費として昭和五六年分一四八八万九二二九円、同五七年二〇二五万八〇二九円が計上されているが、国税局がこれら減価償却費の計算の基礎になった各年分の減価償却資産に対する投資の全額をいかなる証拠に基いて確定したかが明らかにされていない。また、資料は、被告人が業務用として取得した土地の購入費について何ら触れるところがない。

5 「修正損益計算書」において、昭和五六年分について〈1〉ないし〈23〉の各勘定科目同五七年分について〈1〉ないし〈22〉の勘定科目は、いずれも修正金額と反則金額とが同一である。これは、国税局が被告人の自白に過ぎない修正申告の各勘定科目の金額を証拠によらずそのまま反則金額と認め、それに基づき反則所得額を算出していることを示している。そして資料は、国税局が行政処分である重加算税賦課の基礎とすべく証拠に基づかず認定した金額をそのまま記載して検察庁に送付したものである。そのような内容の資料を「証拠」として検察官が被告人を訴追したり、裁判所が被告人を有罪とすることはできない。

6 「疑わしきは被告人の利益に」の原則によって、検察官は、課税庁が職権により数額を認定する更生処分の場合であってもなお課税庁とは別個に、少なくもこれ未満ではないとの程度まで、すなわち合理的疑いを容れる余地がないまでに、証拠により独自の算定による逋脱所得金額を確定主張しなければならないとされているのであるが、その観点からしても、本件の場合、検察官が、実質的に被告人の自白に過ぎない確定申告と修正申告における所得金額を基礎にした国税局の反則所得額をそのまま逋脱所得額として被告人を訴追しておられるのは、違法不当であり、本件は訴因の変更を要する事件ではないかと思われる。

判例も金額の認定について「刑事裁判では、行政上の処分(更正・決定)のために認められた便宜的方法である単なる推計によることは許容されない。」としている。(東京地判昭五四・八・三、判タ四一四・一四八)

二 犯意について

1 被告人は、二重帳簿の作成、売上げ除外、架空仕入、経費の架空計上や水増し、簿外資金蓄積等積極的な事前の所得秘匿行為は何一つ行っていない。これは、被告人が計画的に脱税を図ったものでないことを示す何よりの証拠です。

2 被告人が売上げの一部を仮名の預金にしたことは事実であるが、それは脱税の意図に出たものではなく、妻に対してそれを秘匿しようとしたためであることは被告人が公判廷で供述している。(第六回公判速記録二丁裏三丁表)

また、その預金は普通預金であり、通例個人事業の脱税のための仮名預金のほとんどが定期預金であるのとは趣を異にしており、その点でも被告人の意図が脱税にあったものではないことを示している。(同)

更にその預金はおおむねその年に引出し、大部分は事業の必要経費(接待交際費等)として使い、一部遊興費等に充てたものである(同)。

三 法律の不知について

1 被告人は税法に全く無知であり、減価償却や繰延資産等についてはその言葉さえ知らず、事業の開始・拡張のための土地・建物の購入・借入及び店舗の改築・改装、パチンコ機械等の新設・入換え等の設備投資、新規開店のための開業費並びに事業上の借入金等は、すべてその年の収入から全額を控除して所得を申告できるものと信じて疑わず、その結果期せずして脱税の結果を招くに至ったものである。そのことは公判廷における被告人の供述によって明らかである。(第三回速記録三丁裏~一三丁表)

2 法律の不知によっては故意は阻却されないとされている。しかし税法は例外ではないかと思われる。

わが国の税法は、「一読して難解、二読して誤解、三読して混迷」といわれております。大蔵省主税局総務課監修「実務税法六法-法令」は実に二四八九頁、大蔵省主税局総務課・国税庁長官官房総務課監修「実務税法-通達」は実に一九三八頁もある(いずれも昭和五九年版)。解説判例などは含まず法令通達だけで実に合計四四二七頁である。

通俗書である大蔵省主税局税制第三課長監修の「税法便覧」が八一六頁(六〇年度版)、東京国税局所得税課長著「所得税確定申告の手引」が五一五頁(昭和六一年三月申告用)である。

申告納税制度を採りながら、納税者がこのように膨大な法令通達の知識を身につけなければ適切な確定申告もできないというのは、甚だ不合理である。

何万人という税理士が税法の解釈で生計を立てているなどということは、少なくも先進国では例のないことであり、それほどわが国の税法は「難解・誤解・混迷」に満ちている。

米国の簡素化を主眼とした税制改革に刺激され、不満が一挙に吹き出し、複雑怪奇なわが国の税制に厳しい批判非難が集中し、いまや税制が全面的に改正されようとしている現状も当然のことである。

3 国民一般が容易にわからないような条項を規定しておいて、それに違反したからといって、刑罰を科するのは、申告納税制度の本旨に反するものであり、このような法律の不知については「相当の理由のある法律の錯誤」理論が適用され、責任要素としての犯意はなく、形責の追求はなし得ない。

改正刑法草案二一条二項も、「自己の行為が法律上許されないものであることを知らないで犯した者は、そのことについて相当の理由があるときは、これを罰しない」としている。

被告人が、税法に無知であるため、減価償却資産、繰延資産等として処理すべき資本的投資をその年に支出したものはその年の収入金額から必要経費として全額控除し、また事業上の借入金は、その年に借入れたものはその年の債務としてその年の収入から全額控除して所得を申告することができるものと信じていたことは、まさにその場合にあたる。

東京地判昭五二・九・二六(税資一〇〇・一二三二)は、検察官が、土地を駐車場にするために支出した工事代金は必要経費ではないと主張したのに対し、

「それが不動産収入の必要経費となりえないか否かは税法上一般人において、直ちに容易に判明できるものではなく、(中略)従って、所得は生じないと信じたとしても決して無理からぬことといわねばならず、よって、被告人において、右につき信じたことの相当の理由があると認められので、結局逋脱の犯意を欠き責任がない。」

としている。本件と全く事案を同じくするといえないとしても、ここで述べられている法理は本件にも妥当するものであると思われる。

第二点 原判決の刑の量定は不当であるので、その破棄を求める。

一 在日朝鮮人愛知県商工会について

1 被告人は、昭和四五年ころに事業を始めて以来、一貫して確定申告を在日朝鮮人愛知県商工会に一任してきた。問題の昭和五六年分・同五七年分についても同会の呉永重が被告人に代って確定申告書を作成・提出した。(第三回公判速記録六丁表)

愛知県に限らず、在日朝鮮人の所得の確定申告のほとんどを在日朝鮮人商工会が代行していることは周知の事実であり、そして愛知県においてはこれまで在日朝鮮人愛知県商工会の代行した確定申告で脱税の問題を起したことは皆無である。

被告人が、確定申告を一切在日朝鮮人愛知県商工会に任せておけば脱税の問題は起きないと信じたとしても無理からぬことだといわねばならない。

2 甲三三号証の呉永重の質問てん末書には、

「五年程前から、私が担当するようになり今井有福さんから今年は『これだけの金額で申告書を書いてくれ』と言われ、言われるままに申告書の控に書いたうえ、今井有福さんに説明しますと『これで良い』といわれ、提出用に清書して住所氏名欄も私の方で書いて、今井有福さんには押印をしていただくだけです。」

(「それでは、各年分の所得税確定申告書を作成されるとき今井有福こと金有福から申告書作成に必要な関係書類の提出はありませんか」との問に対し、)「申告書作成時までには提出されることはありません。」

などと供述しており、それに対応するような捜査段階での被告人の供述録取も散見される(乙一号証昭和五八年一二月一四日付被告人質問てん末書問三)。

しかしながら、呉永重の供述が真実を述べたものでないことは、昭和五六年分の確定申告書には、社会保険料・小規模企業共済等掛金控除二六万円、生命保険料五万円に同五七年分には社会保険料・小規模企業共済等掛金控除二七万円、生命保険料五万円などと事実でもなければ被告人が申し出たものでもない数額が記載されていること、そのことは、その一つにつき、公判廷で弁護人が被告人に対し、昭和五六年分の社会保険料控除額二六万円は被告人が呉永重に知らせたものかと尋ねたのに対し、被告人は驚いて「いや、これは誰が作ったんですか。」ととっさに反問している(第四回公判速記録九丁表)ことをもってしても明らかであり、呉永重が、被告人から「言われるままに申告書の控に書いた」との供述は事実に反するものである(第三回公判速記録七丁裏以下)。

呉永重の供述は、自己の責任を逃がれ、その所属する在日朝鮮人愛知県商工会を擁護する意図でなされた虚偽の供述である。

確定申告書の作成・提出を代行する以上は、納税者に関係書類の提出を求めるのが当然であるのに呉永重が被告人にそれを求めた事実がないばかりでなく、同人は、

「今井有福さんは、各年分とも申告時には関係書類の提出はなく、いつも申告書を提出した後に持ってこられますので、そのままにして置き今まで一度も預った物件について内容を見たことはありません。」

と供述している(問七)。これは所得税の確定申告書の作成・提出の代行者としては甚だ無責任である。のみならず、在日朝鮮人愛知県商工会の所得税の確定申告の代行が一般に依頼者個々の資料に基づかずなされていることを示すものである。

3 乙二四号の検面調書では、被告人が、

「五六年五七年の所得税確定申告における所得金額を最終的に決めたのは私です。

それを決めるについて私は商工会に行き商工会の人に他の同業者はどれくらいの金額で申告しているか尋ねました。

商工会の人はあそこはいくらぐらいで申告して一台あたりいくらぐらいにしたと言って教えてくれますので私はその答を参考にして足なみを揃えるようにして一台あたりの所得の目安を決めていたのです。

五六年分については一台あたり五〇、〇〇〇円五七年分については一台あたり一〇〇、〇〇〇円を目安にした記憶です。

この目安で申告しましたが実際の所得額より少ない金額で申告することになるということは分っておりました。」

と供述したということになっている。

これが検察官が被告人の有罪を主張する重要な根拠とされていることは想像に難くない。

しかしながら、被告人は公判廷において、

「一〇万円、五万円という数字は僕が出したわけじゃないんです。」(第六回公判速記録六丁裏)

と述べている。

そして、一台あたり五万円とか一〇万円という数字を出したのは呉永重であり、それは、会員に数十名のパチンコ業者を抱える在日朝鮮人愛知県商工会の、一台あたりの所得の「足並みをそろえる」・「一人だけ飛び出して、あとの人が困る」という方針によるものである旨を述べている(第六回公判速記録五丁表~八丁)。

この被告人の公判廷における供述が事の真実を伝えているのである。

4 外国人の団体である在日朝鮮人愛知県商工会は、会員を全体として日本の課税権力から庇護するため、納税者の個々の実状とは無関係に、一台あたりの所得基準を作り、一律にその基準を使い、会員のパチンコ業者の所得税確定申告を代行していたものである。そのことは、検察官が在日朝鮮人愛知県商工会が作成した四〇ないし五〇のパチンコ業者の所得税確定申告書を国税局から取り寄せて検討されれば直ぐに分ることではないかと思う。問題は被告人の側にあるのではなく特殊な性格をもった確定申告代行機関である在日朝鮮人愛知県商工会の側にある。

5 また、右検面調書の記載によれば、被告人が「この目安で申告しましたが実際の所得額より少ない金額で申告することになることは分っておりました。」と供述したということになっている(乙二四号一〇項)。この点についても被告人は、公判廷で、

「そんなこと答えたことありません」

「自分自身少ないなと思ってそんな答えをしたことありません」

などと繰返し述べている。(第六回公判速記録八丁)事実は、一台あたり五万円とか一〇万円という数字を呉永重の方から出し、被告人としては、

「経費除いてそれぐらいだなと思ったんです。」(第六回公判速記録八丁裏)

ということで呉永重に確定申告の作成と提出を一任したというのが真相である。

その点で検察官が冒頭陳述書において

「右申告書の作成を在日朝鮮人愛知県商工会商工部長呉永重に依頼し、その際、同人に対し、何らの資料も提供することなく、ただ単に昭和五六年分についてはパチンコ台一台あたり約五万円、同五七年分については一台あたり約一〇万円を目安として、何ら根拠のない所得額を伝えて、これに合致する虚偽過少の所得税確定申告書を作成した」

と述べ、弁論要旨においてもほぼ同様のことを述べているのは、事実を誤認したものである。

のみならず、損益計算法により所得を確定できない場合、同業者率、標準率により所得を推計することも、行政訴訟においては認められているのであるから、仮に同業者率、標準率によって確定申告を行ったとしても直ちにそれをもって違法不当と極め付けることはできず、また、起訴状に書かれているように「いわゆるつまみ申告」と同業者率、標準率による所得の確定申告とは違うのである。

6 むしろ、注目すべきは、呉永重の供述(甲三三号証)において、大蔵事務官伊藤斉の

「今井有福こと金有福から各年分の所得税確定申告に際し、何か頼まれたことはありませんか。」

という質問に対して

「そのようなことは、何一つありません。」

と明確に答えていることである。

これは、被告人が所得税確定申告書の作成・提出を在日朝鮮人愛知県商工会に委任するにあたり、脱税の犯意が全くなかったことを示す何よりの証拠である。

呉永重が、

「また昨年(昭和五八年)一二月始めごろ昭和税務署と国税局資料調査課の調査を受け、話し合いで順調に調査が進められていたにもかかわらず、査察調査を受けたのは非常に遺憾に思います。」

と述べている点も注目すべきである。

7 弁護人が、国税局に対する被告人の代理人を受任したのは、昭和五九年の六月五日のことであり、当時国税局は、被告人の逋脱所得金額を七億六〇〇〇万円ないし七億七〇〇〇万円と見込んでいたようであるが、被告人の側での陳情、国税局側での行政指導を重ねた結果、最終的に被告人の確定申告には三億七六九九万円の申告洩れがあったとして修正申告を提出することとなったものである。この種の案件では、事実上国税局は幅広い裁量権をもつことになる。本件においても、結果論でありますが、未申告所得額が当初国税局の見込額の約二分の一に縮減されたのである。

8 最大の問題は、必要経費の金額の確定であった。

経費については証票類や帳簿類はほとんど存在せず、被告人は、記憶のみに頼って経費の存在を主張したのであるが、国税局が被告人の供述を措信するにも限度があり、結局被告人としては、不満ながら、名を捨て実を採るということから国税局の行政指導に服し、更生処分によらず、被告人において右の金額によって修正申告書を提出し、自主的に納税することで決着を見たものである。

行政指導による修正申告はこのようにして行なわれるのが実状である。従って修正申告された所得金額全体を対象にして重加算税を課することも問題である。ましてそれをそのまま、証拠によって認定すべき、刑事処分上の逋脱所得金額とすることは到底できない。反則所得額は、あくまでも、行政処分上のものであり、厳格な証明によったものではないから、これをもって被告人の刑事責任を追求することは違法である。

二 被告人の資産の増減等について

1 被告人は、特に必要経費について、正確な帳簿類を備えておらず、証票類も散逸させてしまっている。

被告人は

「全部どんぶり勘定でやって、幾らあるとか現金があればそれで全部やって帳面なんかほとんどありません。」

と公判廷においても述べている(第六回公判速記録九丁表)。

そのこと自体は非難されるべきであろう。しかし、だからといって証拠なしに被告人を有罪にできるものでないことはいうまでもない。

被告人の事業の経費について多くは証拠がないということから、被告人の所得金額を証拠に基づき損益計算法により算定することは極めて困難であり、本件は、むしろ財産増減法により所得金額を確定するしかない事案ともいえる。税法上は、所得金額の正確な計算方法は、損益計算法によって行い、かつ貸借対照法によって験算するのが妥当とされている(東京地判昭五二・八・五、判時九〇七・一二五、判タ三六四・三〇七参照)。

昭和五六年分について、起訴状は、被告人に四三二五万三二〇〇円の逋脱所得があったとしているが、昭和五五年末と同五六年末の朝銀愛知信用組合の被告人に対する貸付残高をみると、昭和五六年中に被告人の借入金は一億七四四一万一二二七円増えていることが分る(弁六号、同七号証)。

昭和五七年分について、起訴状は、被告人に二億一六二二万八〇〇円の逋脱所得があったとしているが、同様にして朝銀愛知信用組合の被告人に対する貸付残高は四七九一万一二二七円減っているが、実質的にはいずれも被告人の計算である朝銀愛知信用組合のユウキ実業株式会社に対する貸付残高は一億七〇〇〇万円株式会社サンキューに対する貸付残高は一億一四一〇万円増えており、これらを合計すると実質的な被告人の借入金は二億三六一八万八七七四円増えている(弁七ないし一〇号証)。

いずれの年においても、被告人のいわゆる逋脱所得金額のうち被告人が国税局に対し必要経費であることを証明しないしは確信させることができなかった部分を除く残額と借入金のほとんどは、事業の設備投資ないし先行投資されているのであって、通例の租税逋脱犯のように、逋脱所得を蓄財に回したりあるいは簿外資金として事業以外の目的に費消するというようなことは被告人においては全くなかったのである。その点は検察官も、弁論要旨において、

「被告人は、パチンコ店を経営する同業者との競争に勝残るためなどの目的で本件犯行を敢行し、着々と事業を拡大していたものであって」

「結局、犯行の動機は自己が経営する事業を拡大するなど自己利益をはかったものであり、動機において格別同情すべき点は認めらない」

として認めている。なお検察官は、続けて「結局、犯行の動機は自己が経営すと信じていたに過ぎず、「企て」て脱税を敢行したものではない。「ことさらに」「偽りその他不正の行為」をして所得税を免れたものではない。

2 検察官は弁論要旨において

「被告人が利益金を設備投資に回して物(土地)を購入した場合、その税金の支払を免れると信じたとする合理的根拠は皆無であり」

としている点については、まず被告人が土地を購入した場合にそう信じただけではなく、減価償却資産・繰越資産などについては、ある年に支出した経費の一部のみがその年分として必要経費として認められる制度となっていることを知らずその取得費の全部がその年分の経費とした認められるものと考えていたのである。土地、借地権は原価償却の対照とはなりませんが当然そのことも被告人は知らなかった。

被告人の設備投資についての認識は、被告人が公判廷において店舗の設備について

「それは古くなれば新しくするのは税金かからんでしょう。」

とこともなげに述べている(第五回公判速記録六丁裏)程度のものである。

検察官が「被告人が利益金を設備投資に回して物(土地)を購入した場合」と述べているのは、被告人が公判廷で、弁護人の問に答え

「減価償却というと、土地じゃないですか………建物ですかな。」

などと述べ、また被告人質問における弁護人との応酬のなかで

弁護人「あなたは繰越資産という言葉、お分りですか。」

被告人「知りません。」

弁護人「全く知らないですか。」

被告人「知らないです。土地のことですか。」

などと述べているように、未だに被告人は減価償却資産・繰越資産等の税法上の処理について無知なのであります。土地が減価償却の対象とならないことはいうまでもない。

3 検察官の弁論要旨に

「右の主張が捜査段階では全く主張されず、公判段階に至ってはじめて主張されるに至った点に照らし、右の主張(弁護人の)は、到底信用できない。」

と述べているが、これは誤解に基づく主張である。

検察官は、弁論要旨で

「弁護人は『本件犯行は、被告人が当初から脱税を企画して、意識的計画的に課税所得を秘匿し、あるいは架空の経費を計上するなどした事案とは異なる』旨主張しその根拠として、〈1〉被告人は事業所得のうち事業の拡張のため設備投資及び経費に当てた分は確定申告において事業所得として申告する必要がないものと信じていたこと………を挙げている。」

とし、

「しかしながら、右主張は次の理由から到底認められないものであると思料する。

即ち、右〈1〉については、被告人が、利益金を設備投資に回して物(土地)を購入した場合、その税金を免かれると信じたとする合理的な根拠は皆無であり、被告人自身、公判廷において『本件捜査開始後、右の考えを持つようになった』『売上げから除外した金員は自己の小遣いにあてた』などとも述べているのであり、その法廷における供述内容が不明確で、供述態度はよいとはいえないこと、右の主張が捜査段階では全く主張されず、公判段階に至ってはじめて主張されるに至った点に照らし到底信用できない。」

と述べているが、これは見当違いの主張といわざるを得ない。

被告人は、公判廷で「自分の遊興費とか、お客さんの接待だとか、そんなので随分使いました。」と述べている(第六回公判速記録二丁裏)。

まず、検察官が、「右〈1〉の主張が捜査段階では全く主張されず」と述べている点であるが、右〈1〉の主張は、検察官自身が認めておられるとおり弁護人の主張である。被告人の主張ではない。弁護人は捜査段階には関与していないのであるから捜査段階では主張していないのは当然のことである。刑事訴訟法に三〇条に「被告人又は被疑者は何時でも弁護人を選任することができる」とあるにもかかわらず、他の先進国におけるように取調べに弁護人の立合いが許されていないことは、検察官も承知のはずである。

被告人は、捜査段階においては、自己の脱税が法律の不知に基くものであることを自覚するどころか、自分は脱税を犯していないと信じていたのであるから、〈1〉の主張をするよしもなかったはずである。

かつ、捜査段階といっても、国税局の取調べは、乙一号ないし二二号証の「質問てん末書」を一読しても分かるように、犯罪の捜査として行なわれたものではなく、課税のための調査として行われたものである。そのような目的を異にする「質問てん末書」を犯罪の供述調書に流用して国税庁は検察庁に送付しているに過ぎないのであって、そこにも問題がある。

また検察官面前調書も僅かに二通あるのみで、犯行状況に関するものは一通でその内容は大蔵事務官作成の「質問てん末書」の内容に追随したものに過ぎず、検察官独自の捜査や、検察官独自の突込んだ取調べが行なわれた形跡は全く窺うことができない。

また検察官は「被告人…の法定における供述内容が不明確で…到底信用できない。」と述べておられますが、これは弁護人の被告人質問の意図を誤解したものと思われる。弁護人の被告人質問の狙いの一つは、被告人が税法、殊に減価償却資産、繰越資産などの税法上の処理についていかに無知であるか、設備投資、開業費などは、それを支出した年の必要経費として全額収入から差引いて課税標準を算出してよいといかに信じ切っていたかを立証し、そうすることによって、被告人が脱税という過誤に陥ったのは、被告人の無知のなせる業であって、被告人が、税法について相応の知識を持合せていながら、敢えて法を犯す認識をもって、検察官が主張されるように「自己の所得を免れようと企て」た計画的な犯行ではないことを立証しようとしたものである。

そして弁護人としては、その点は被告人質問により十分に立証されたと信じる。

また、被告人の供述の多くが、被告人の「法律の不知」を立証しようという意図の下になされた質問に対する答であるから「供述内容が不明確」なのは当然である。

また、「供述態度はよいとはいえないこと」という検察官の評価は、この際無縁のことである。

4 検察官は、「〈1〉被告人は事業所得のうち事業の拡張のため設備投資及び経費に当てた分は確定申告において事業所得として申告する必要がないものと信じていた」という点について

「右〈1〉については、被告人が、利益金を設備投資に回して物(土地)を購入した場合、その税金を免かれると信じたとする合理的な根拠は皆無であり」

と述べているが、「税金を免かれると信じた」のは被告人の無知によるものであるから、無知に「合理的な根拠」などありようはずはない。あるとすれば、税法が複雑に過ぎ、難解に過ぎることである。

「確定申告につき、呉永重に一任したといっても、確定申告をするためには何らかの資料が必要となることは当然であり、資料なしに一任したのであれば全く根拠のない確定申告を依頼したことになり、逆に資料を渡したのであれば虚偽の資料に基づく確定申告を依頼したことになるのであり、いずれにしても、このような申告方法で問題がないと信じていた旨の弁解は不合理極まりない。」

と主張しているが、これは事実と証拠に基かない主張である。

在日朝鮮人愛知県商工会は、戦後今日まで愛知県在住の朝鮮人の所得税確定申告書の作成と提出を無数に代行してきながら、これまで一度として脱税問題を起していないのは事実である。その事実を前にして被告人が在日朝鮮人愛知県商工会に所得税確定申告書を一任しておけば間違いないと信じたとしても被告人を責めることはできない。

5 そして在日朝鮮人愛知県商工会が所得税確定申告書の作成・提出について被告人を何ら特別扱いにしたものでないことは、検察官において在日朝鮮人愛知県商工会の一般の所得税確定申告書の作成・提出のやり方をいささかでも調査すれば、十分分るはずである。もし問題があるとすれば、責めらるべきは在日朝鮮人愛知県商工会である。

わが国における在日朝鮮人の特異性、所得税確定申告の代行業務における在日朝鮮人愛知県商工会の特異性、在日朝鮮人愛知県商工会に対する課税庁の対応の特異性をすべて無視して被告人のみを責めることは、何よりも公平を第一義とすべき税の分野において、在日朝鮮人の中でひとり被告人に不公平を強いる結果となる。

そのような特異な状況設定の中で被告人の犯情・情状を考えてこそ公平な法の適用というべきだと思うのである。

三 被告人が日本国民ではないことについて

1 検察官は、弁論要旨において、

「納税義務は、憲法上国民に課せられた最も重要な義務であり」

と述べ、その観点から

「被告人を厳重に処罰する必要がある。」

としている。

検察官は、被告人に対する反対尋問においても同じようなことを被告人に対して言っていた。

しかしながら、被告人は、日本人ではない。日本の国籍はもっていない。すなわち日本の国民ではない。被告人に対し、「納税義務は、憲法上国民に課せられた最も重要な義務である」が故に「被告人を厳重に処罰する必要がある。」とすることはできない。もちろん被告人にも税を納める義務はある。しかし被告人の場合その義務の重要性は検察官の主張とは違う観点から論じなければならない。

検察官は同じく弁論要旨において、

「(被告人)は誠実な納税者がいくたの犠牲を払いながら税を納めている中にあって、自己の利益のみをはかり、多額の脱税を敢行した被告人の責任は重要であると言わなければならない。」

「脱税行為は税負担の公平を害し、国民全体の不利益において自己の利益をはかるものであることはもとより」

とも述べているが、これらも「納税義務は、憲法上国民に課せられた最も重要な義務である」という見地からの主張であり、外国人である被告人にはあてはまらないものといわなければならない。

2 従来、租税処罰法の法理論をリードしていたのは、訴追官である検察官のそれであった。そこでは、行政官として国家の代表者という立場から、検察官は国家財政収入確保のために逋脱犯に対し国庫に加えられた金銭的損害の賠償をはかるべく行動するものとされ、そのような観点から、戦後の一時期を除き、昭和五四年まで逋脱犯の量刑に実刑は全然なく、量刑は罰金刑であり、懲役刑は名目で、すべては執行猶予付という現状である(松沢智・井上弘道「租税実態法と処罰法」はしがき)。

そのような租税処罰法の法理論に対し最近批判がなされていることは事実であるが、検察官が、被告人に対し懲役刑を求刑したのは、新しい租税処罰法の法理論の立場に立たれたものと思われるが、ただその求刑は、被告人が外国人であることを見落し、被告人が日本の「国民」であるものと誤認されたことによるものと思われる。

外国人である被告人については、在来の理論、すなわち国庫に加えられた金銭的損害の賠償をはかれば足り、罰金刑のみをもって臨むことが至当と思われる。

四 前科等について

1 在日朝鮮人の犯罪率は、日本人よりは遙かに高いとされている。

しかし、被告人は、昭和四五年ころまでは、土方などをやっていたにもかかわらず、道路交通法違反以外は前科前歴は全くない。道路交通法違反もここ数年はない。

外国人登録証の指紋捺拒否が大きな問題となっているが、被告人は一度も指紋押捺を拒否したことがない(第三回公判速記録四丁表)。

被告人は、数年にわたり最盛時には六件のバーの経営をしておりましたが、一切手を引いた。

その点について被告人は公判廷において

「バー自体はもうけていましたが、同業者が非常に悪質だったもんですから、それでやめました。」

「内容が非常に悪質になりましたので、それと一緒くたにされては困るということで全部引き挙げました。」

と述べている。(第三回公判速記録四丁裏~五丁)

被告人がアウトロー的な考えの持主でないことは以上述べたことからも明らかである。

3 更に被告人は、「子供の頃から一廉の者になろうと深く心に誓っており、向学心にも燃えていた。」「飯場での生活は荒みがちで、こんなことをしていたら自分の一生はだめになると深刻に悩みながら日を送っていた。」「二四歳のとき現在の妻と知り合い結婚しました。妻は日本籍です。妻とは、苦労覚悟で将来を築こうと誓い合い、それ以来、私も真面目に必死に働き、妻も私を信じてよく家庭を守ってくれて四人の子供も立派に育ててくれました。妻には感謝しており、自分でもよい家庭を築くことができたと自負しております。」「私は共産主義者でもありませんし、また、特に朝鮮人民共和国を支持するとか、そのための政治活動をするとかしているわけではありません。」と述べている(上申書・甲第四一五号)。

また、「朝鮮人である私が、日本で、職を捜したり、事業をやるということになると、日本人の朝鮮人に対する差別意識は強く根深いものがあり、日本人からの協力援助を期待することは殆ど不可能です。」(同)と述べ公判廷においても同様の趣旨を述べている(第六回公判速記録一〇丁裏、一一丁)。

五 被告人の反省について

1 検察官は、弁論要旨において

「刑事責任を免れるため政治家に国税庁に対する陳情を依頼する意図で三〇〇〇万円もの大金を交付した事実がうかがわれるのであり、自己の不正を多額の金員を交付することによって隠蔽しようとした態度は悪質であり反省の情が全く認められない。」

と述べているが、これは曲解である。

被告人が政治家に多額の金員を交付したのは事実であるが、それは、「刑事責任を免れるため政治家に国税庁に対する陳情を依頼する意図」でも、「自己の不正を多額の金員を交付することによって隠蔽しようとした」のでもない。

2 被告人は、昭和五八年一二月始めころ昭和税務署と名古屋国税局の調査を受け、昭和五八年一二月一四日、同一五日、同五九年一月一三日、同年五月四日と四回捜索を受けております。当時国税局の係官の話から、被告人は八億円を超える税を納めなければならないことになると思い、もしそのようなことになれば事業が立ち行かなるばかりか身の破滅だと極度の絶望に陥った。特に被告人は日本国籍を有せず、その点でも非常な不安動揺を感じたことは察するに余りあるものがある。

そのころ、被告人は政治家を紹介され、藁をもつかむ思いで言われるままに金を出したのであるが、その趣旨は、少しでも税金を安くしてもらいたい一念からであり、当時被告人に「刑事責任を免れるため」などという考えなどは全くなかった。その点検察官は行政処分と司法処分を混同したものと見受けられる。

3 税務調査を受けた場合に税理士が税務当局との折衝を代行するということは通例行われているが、税理士は、職業柄税務当局からにらまれると、後の仕事に差支えるということで、依頼者の言い分を十分代弁してくれないという不満が多いことは紛れもない事実である。

また残念ながら、政治家の力を借りて、税金を「負けてもらった」という話はよく聞く話である。

被告人が、外国人であるだけに、政治家の力を借りる気になったのも、一概に非難できないものがあると思われる。

弁護人が許せないと思うのは、外国人の弱い立場につけ入って、実効を挙げる見込もないのに謝礼として納税者に多大の金員を要求し、受領している政治家やその秘書などの存在である。まさにそれは国辱的行為であり、場合によっては詐欺として問擬すべき場合も少なくなく、非難さるべきは、政治家ないしその秘書であろう。

4 弁護人において、藤田義光から名古屋国税局に陳情はあったが、同国税局ではその陳述に対し何らの配慮もしていないことを確認している。衆議院の大蔵委員長を勤めた瓦力自身が何らかの陳情を行った形跡はないようであるが、同代議士の意向を受けたと称する、税務当局などに暴力的圧力をかけることで悪名の高い某団体から、被告人が国税局に対する代理人として弁護士を依頼したことを難詰され、弁護士は頼んでも、こちらもやることはやったのだから金は払ってもらうと強迫され、その言辞に怯えた被告人が、後で何をされるかわからないからと恐れて、弁護人の制止もきかず、二〇〇〇万円を瓦力の秘書と称する者に支払ったものである。

捜査段階で明るみに出なかった被告人の政治家に対する金員の交付を、弁護人が敢えて公判廷で被告人質問により顕出したのは、検察官及び裁判長にいわゆる三国人を食い物にする政治家ないし秘書などの存在に義憤を感じてもらい、それだけに特異ないわゆる「三国人」の社会的立場に同情と理解を得たかったからである。

検察官が全くそれを被告人に対して不利益な事情として受け止めたことは、弁護人としては誠に心外であり残念である。

一〇 刑について

1 検察官は、被告人に対し、懲役二年及び罰金七〇〇〇万を求刑し、原判決は、被告人を懲役二年及び罰金六〇〇〇円に処し、四年間右懲役刑の執行を猶予した。

しかしながら、以上述べた諸点、被告人が日本国籍を有せず、検察官が主張するような日本国民でない点、殊に、被告人にはこれまで交通事犯以外には前科前歴がないこと、被告人は本件の原因が自己の税法についての無知にあったことを深く反省し新たに税理士を頼み、専門の経理担当者を置き二度と脱税をしない態勢をとったこと、本件にかかわる修正申告に基づく税は、その所有の土地を処分し不足分は資金を借り入れて地方税も含め既に完納していること、被告人の妻は日本人であり、その子らも日本国籍をもち、被告人の兄弟も既に日本国籍を取得しており、被告人においても経済的基礎ができたところで日本国籍を取得し善良な市民としてこの国に永住したいという希望をもっており、国籍取得の手続きをとろうとしていた矢先本件が発生し、被告人は懲役刑を課せられることによって日本国民となる希望が永遠に失われることを極度に恐れていること等を考慮すれば、たとえ執行を猶予されたとはいえ、懲役刑を課せられたことは過酷と思われる。

検察官は、弁護要旨末書において「反省することなく弁解を弄するなどして」と述べているが、広辞苑によりと、「弁解」とは「言い説くこと。言い開き。いいわけ。」のことだとされており、「いいわけ」とは「〈1〉言いわけること。申しわけ。弁明。弁解。〈2〉過(あやまち)を謝すること。」とされている。弁解したからといって被告人が反省していないことを示すものではないばかりか、被告人が法廷で弁解することは、当事者主義、弁論主義を大幅に採り入れた現刑事訴訟法では当然のことである。民事訴訟における抗弁はいわば「弁解」であり、刑事事件も含め、当事者主義の近代的訴訟においては、訴訟は弁解の応酬だともいえると思う。刑事裁判においては一切の弁解を許さないというのでは、絶対主義の暗黒時代に逆戻りしてしまうことになる。

それに反省は、法廷での言動もさることながら、反省して現実にどのような行動をとったかが問題である。被告人が土地を売り、借金をして税を納めたこと、新たに税理士を顧問に置き、専門の経理担当者を置くようにし、「どんぶり勘定」を止めたこと、被告人が反省している何よりの証拠である。反省は言葉ではなく、行動で示すべきものであろう。

2 また、原判決は被告人に六〇〇〇万円の罰金を課している。

本件逋脱所得金額は、昭和五六年分と同五七年分を合せ、三億五八二九万三九七三円とされているが、これに対する税として被告人は地方税を含め四億四〇〇〇万円以上の税を既に納めている。これに右罰金の六〇〇〇万円を加えると被告人は、約五億円を支払わねばならないこととなる。そしてこの支出は再生産過程には入らないものであり、その額は、いわゆる逋脱所得金額の実に約一四〇パーセントにも該る。被告人は、既に昭和五六年分と同五七年分を合わせ八二〇四万七〇〇〇円の重加算税を賦課されている。もちろん重加算税と罰金は趣旨を殊にするものであり、それが併課されることについてとやかくいうのではないが、重加算税も罰金も、被告人の経済的負担は同じことである。

被告人は、現在八億円ほどの資産を有しているが、他方約一五億円の負債を抱えている。そして右負債のうち数億円は本件修正申告に基づく納税のために借入れたものである。そして被告人の事業は現在もその実体は個人企業である。かつ被告人が朝鮮人であることによって一般の金融機関から融資を受けることはほとんど不可能である。被告人に約三億六〇〇〇万円の逋脱所得があったからといって被告人が総計約五億円の非生産的な支出を強いられることは身から出た錆とはいえ、被告人の経済的に破綻させる結果を招く。被告人に六〇〇〇万円の罰金の追打ちをかければ、それによって被告人の事業が崩壊し、被告人の生活が破壊することは火を見るよりも明らかである。誠に同情に堪えないものがある。

刑罰には刑罰の目的があるわけであるが、検察官が弁論要旨の結論として、

「多額の脱税を敢行し、しかも反省することなく弁解を弄するなどして自己の刑事責任を免れあるいは軽減しようとする被告人に対する応報の見地からも被告人を厳重に処罰する必要がある。」

としているが、「多額の脱税を敢行し」たことに対する「応報」ということだけならともかく、「反省することなく弁解を弄するなどして自己の刑事責任を免れあるいは軽減しようとする」ことに対する「応報」というのは、刑罰に関する古典的な応報刑論からしても逸脱した主張であり、また教育刑論の立場に立つまでもなく、刑罰は単に犯罪に対する報復的な応酬の見地からのみ課せられるものではなく、被告人の教育・更生をもその目的の一つとしていることは言うまでもないことである。

殊に租税犯に対する刑罰が被告人の事業の継続を不可能にし被告人の生活基盤を奪い、被告人の事業と生活を社会から抹殺することにあるとは言えないであろう。

見せしめとして一罰百戒の実を挙げることも必要ではあろう。新聞報道によると、税務調査により、六〇事業年度につき、全法人の九・六パーセントにあたる一九万四〇〇〇社のうち、八三パーセントにあたる一六万一〇〇〇社から申告洩れ、所得隠しが見付かり、ごまかし所得の総額は過去最高の一兆一四八二億円に達したということである。単純にこの額を九・六パーセントで割ると推定「ごまかし所得額」は、実に一二兆円近くなる。

わが国の殊に所得税が、米国が大胆な税制改革に乗出した影響もあり、厳しい批判に曝されているときでもある。わが国の税制自体に一罰百戒政策ではどうにもならないものがある。

被告人に脱税なき健全な経済活動をなすべく教育し、その意味での更生の転機を与えることも刑罰の重要な目的と考えられる。

以上の点からして、弁護人としては、被告人を罰金刑のみによって処断し、かつ、罰金の額を被告人を破滅させず、被告人の更正を妨げない程度のものとすることが至当と考えるものである。

なお、控訴趣意補充書を提出する予定である。

○控訴趣意補充書

被告人 今井有福こと 金有福

右の者に対する所得税法違反事件について既に控訴趣意書は提出済みであるが、控訴の趣意を次のとおり補充する。

昭和六二年一月三〇日

右弁護人 渡部正郎

名古屋高等裁判所 刑事第一部 御中

一 原判決の法令違反及び審理不尽に基づく事実誤認

原判決の「理由」中、「(罪となるべき事実)」は、起訴状の「二、公訴事実」と一字一句違わない全くの同文である。

原判決は、(証拠の標目)に挙示した証拠により検察官が起訴状「二、公訴事実」において主張した事実と寸分違わない事実を認定したことになるわけである。

しかしながら、原判決の「(罪となるべき事実)」の認定は、刑事訴訟法三一九条二項に違反し、かつ、審理不尽に基く事実誤認の違法を犯したものである。

以下右の点につき、控訴の趣意を補充して述べる。

原判決の「(罪となるべき事実)第一」の判示中

「同(昭和)五七年三月一二日、名古屋市瑞穂区瑞穂町西藤塚一番四号所在の昭和税務署において、同税務署長に対し、所得金額が一、六二〇万円であり、これに対する所得税額が四三六万六、〇〇〇円である旨の」「所得税確定申告書を提出し」

たこと、及び、

同「第二」の判示中

「同(昭和)五八年三月一四日、前記昭和税務署において、同税務署長に対し、所得金額が五、九三二万八、四五六円であり、これに対する所得税額が二、九八〇万一、二〇〇円である旨の」「所得税確定申告書を提出し」

たことは事実であるが、

1 原判決が、「(罪となるべき事実)第一」の判示中

「正規の所得税額との差額四、三二五万三、二〇〇円を免れ」

たとしているのは、原判決が「(罪となるべき事実)第一」において、

「昭和五六年分の実際の所得金額が八、四五三万三、九九七円で、これに対する所得税額が四、七六一万九、二〇〇円である」

とし、右四、七六一万九、二〇〇円と前記四三六万六、〇〇〇円の差額を計算したものに過ぎず、しかも右所得金額・所得税額・逋脱税額は、いずれも、原判決が証拠として挙示する「大蔵事務官伊藤斉作成(59・12・21)の脱税額計算書説明資料」のうち「脱税額計算書-自昭和五六年一月一日至昭和五六年一二月三一日」に記載されている金額をそっくりそのまま引き写したものである。

ところが、右「脱税額計算書」の「所得金額」欄の「実際金額」の算出の基礎となった各「勘定科目」の「金額」欄に記載された金額の全部あるいは少なくもその一部が被告人の「自白」のみによって確定されている。

そのことは、昭和五六年分の「説明資料」の「説明」欄に

〈1〉「期首商品棚卸高」につき

「相当性の認められる被告人の供述によって認容したものである。」

〈2〉「期末商品棚卸高」につき

「相当性の認められる被告人の供述によって認容したものである。」

〈3〉「旅費交通費」・「広告宣伝費」・「接待交際費」・「雑費」のそれぞれにつき

「被告人の供述から支払事実を確認して確定した」

〈4〉「消耗備品費」につき

「被告人・・・の供述を基に・・・確定した」

〈5〉「給料賃金」につき

「被告人・・・の供述・・・により金額を確定したものである。」

〈6〉「貸倒金」につき

「被告人の供述・・・により確定した。」

〈7〉「除却費」につき

「被告人・・・の供述から支払事実を確認して確定した」

等の記載があることによって明かである。

右〈1〉及び〈2〉の「相当性の認められる被告人の供述によって認容したものである。」(期首商品棚卸高・期末商品棚卸高)というのは、「金額」欄に記載されている金額以外にも被告人の供述はあったが「相当性が認められ」なかったから認容しなかったこと及び「相当性の認められる被告人の供述によって認容したもの」については「被告人の供述」以外に何の証拠もないことを意味している。

右〈3〉ないし〈7〉は、

(1) 「領収証、照会回答及び被告人の供述から支払事実を確認して確定した」(旅費交通費・広告宣伝費・接待交際費・雑費)

(2) 「被告人及び関係者の供述を基に領収証、照会回答等によって確定した」(消耗備品費)

(3) 「パチンコ関係は被告人の供述、支払明細書等により、飲食店関係は被告人の供述及び関係者の供述により金額を確定したものである。」(給料賃金)

(4) 「被告人の供述、押収物件により確定した。」(貸倒金)

(5) 「被告人及び関係者の供述等により確定した」(除却費)

などの説明文から抜き書したものであるが、右(1)ないし(5)の「説明」は、いずれも、「金額」欄に記載してある金額全額が被告人の供述したものであって、右全額につき余すところなくその「ウラ」を領収証、照会回答、関係者の供述、支払明細書、押収物件等によってとったうえで確定したという意味ではなく、「金額」欄に記載されている金額中には、あるいは被告人の供述のみによって確定したもの、あるいは領収証、照会回答、関係者の供述、支払明細書、押収物件等のそれぞれによって確定したものが別々に含まれて混在しており、その合計額が「金額」欄に記載されている金額になるという意味である。

従って、期首商品棚卸高・期末商品棚卸高については「金額」欄に記載されている金額のすべて、旅費交通費・広告宣伝費・接待交通費・消耗備品費・給料賃金・貸倒金・除却費・雑費については、「金額」欄に記載されている金額の少なくも一部は、他に何らの証拠もなく被告人の自白のみにより確定したものということになる。

次に、「説明資料」の「ほ逋脱所得の内容」と題する資料は、「売上金額」を含めて「説明」はいずれも極簡単なものであり、「金額」欄に記載されている金額のうち、被告人の供述のみによって確定した金額はいくらか、領収証、照会回答、関係者の供述、支払明細書、押収物件等によりそれぞれ確定した金額はいくらかという点について全く触れるところがなく、また、「説明」の根拠となった証拠を何一つ添付していない。

更に「給料賃金」の「説明」には、

「なお黒川店については五六年の給料明細書がないため、五七年分の給料総額から昇給分を差し引いて確定したものである。」

とあり、刑事裁判における事実認定とはなしえない推認がなされている。

このような資料は、税務署が課税するための資料としてならばともかく、刑事裁判において構成要件該当事実を証明する証拠たりうるものではない。

所得税法には、「推計」に関する一五六条の規定があり、右「推計」は「一応の立証」・「一応の蓋然性」の存在をもって足りるとされているが、右は、税務署長のなす更生または決定という行政処分に関し適用される規定であって刑事裁判に適用されるものではない。

租税逋脱犯における逋脱所得金額の間接的資料による認定に関しては、最決昭五四・一一・八、刑集三三・七・六九五があるが、右決定は、結論的な説示をするのみで理由付けの詳細に論及していないものの、逋脱所得の金額の認定において「いわゆる推計の方法すなわち、・・・収入・資質の状況、取扱量、事業の規模・・・等を示す間接的な資料から所得金額を推認して認定する方法も、その方法が経験則に照して合理的であるかぎりにおいては、当然に許容されるべきものであり、要は、それによって合理的な疑いをさしはさむ余地のない程度の証明が得られれば足りると解される。」とし、推認につき、「その方法が経験則に照して合理的である」こと、「それによって合理的な疑いをさしはさむ余地のない程度の証明が得られ」ることという厳格な制約のあることを明かにしている。

刑事裁判において「疑わしきは被告人の利益に」の原則が妥当する点においては租税逋脱犯も例外ではない。所得金額の算定に当っては、少なくともこれ未満ではない(どんなに固くみても、最少限これだけの額はある)との程度まで立証されることを要する。また、租税逋脱犯においても、憲法三八条三項・刑事訴訟法三一九条二項の適用があることもいうまでもない。

被告人は、修正申告により納税したものであって、更生処分を受けて追加納税したものではない。申告納税を建前とするわが国の税制においては、確定申告においては勿論のこと修正申告においても納税者が自ら確定した所得額・所得税額は「自白」にすぎない。

もし、原判決が、右「脱税額計算書」及び「逋脱所得の内容」と題する各説明資料は公務員が作成したものであるからその信用性に問題はないとし、右「逋脱所得の内容」の各「説明」欄に数額確定の根拠として述べられている供述・資料等につき何ら証拠調べをすることなく、右「脱税額計算書」及び「逋脱所得の内容」を唯一の証拠(間接証拠)として被告人の所得額・逋脱所得税額を推認したのであれば、右「逋脱所得の内容」の各「説明」は、以上述べたことにより、経験則に照して合理的とはいえず、合理的疑いをさしはさむ余地が多分にあることは明かであるから、前記最判の説示の趣旨にも反し、充分な証拠調べもすることなく、審理不尽のまま漫然と判決を下したことになる。

以上述べたことにより、原判決が、「大蔵事務官伊藤斉作成(59・12・21)の脱税額計算書説明資料」を証拠として、被告人が昭和五六年分として所得税「四、三二五万三、二〇〇円を免れ」たと認定したのは、刑事訴訟法三一九条二項に違反し、最高裁の判例と相反し、かつ、審理不尽に基く事実誤認の違法を犯しているものであって、その点だけよりしても原判決は破棄を免れないものである。

なお、東京地判昭五四・八・三(判タ四〇四・一四八)は、「所得形成の基礎となる個々の会計上の事実が他と切りはなされて、それぞれ独立して審判の対象とするものではないから、ある特定の勘定科目が被告人の供述のみに基いて認定されたとしても、それ自体をもって刑事訴訟法三一九条二項に違反することにはならない」としているが、本件においては「ある特定の勘定科目が被告人の供述のみに基いて認定された」という程度のものではなく、全体で二三の勘定科目中実に一〇の勘定科目の金額につきその全部あるいは少なくもその一部が「被告人の供述のみに基いて認定され」ており、また、右の判決は、財産増減法により逋脱所得額・逋脱所得税額を確定した事案であり、本件は損益計算法により逋脱所得額・逋脱所得税額を確定した事案であって、両者は全く事案を異にし、右判決の理論を本件に当てはめることはできない。

2 原判決が、「(罪となるべき事実)第二」の判示中

「正規の所得税額との差額二億一、六二二万八〇〇円を免れ」

たとしているのは、原判決が「(罪となるべき事実)第二」において、

「同(昭和)五七年分の実際の所得金額が三億四、九二八万八四三円で、これに対する所得税額が二億四、六〇二万二、〇〇〇円である」

とし、右二億四、六〇二万二、〇〇〇円と前記二、九八〇万一、二〇〇円の差額を計算したものに過ぎず、しかも右所得金額・所得税額・逋脱税額は、いずれも、原判決が証拠として挙示する「大蔵事務官伊藤斉作成(59・12・21)の脱税額計算書説明資料」のうち「脱税額計算書-昭和五七年一月一日至昭和五七年一二月三一日」に記載されている金額をそっくりそのまま引き写したものである。

ところが、右「脱税計算書」の「所得金額」欄の「実際金額」の算出の基礎となった「勘定科目」のなかには、被告人の「自白」のみによって確定した金額が数多く含まれている。

そのことは、昭和五七年分の「説明資料」の「説明」欄に、貸倒金について、

「被告人の供述、押収物件により確定した。」

と書かれているほかは、その他の勘定科目のすべてについて、単に

「五六年と同様である。」

と記されているにすぎないことによって明かであるから、「(罪となるべき事実)第一」について述べたことはほとんどすべて「(罪となるべき事実)第二」の判示についてもいえることである。

従って原判決が、「大蔵事務官伊藤斉作成(59・12・21)の脱税額計算書説明資料」を証拠として、被告人が昭和五七年分として所得税「二億一、六二二万八〇〇円を免れ」たと認定しているのは、刑事訴訟法三一九条二項に違反し、最高裁の判例と相反し、かつ、審理不尽に基づく事実誤認の違法があり、その点だけよりしても原判決は破棄を免れないものである。

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